何者
私は何者なのだろう。最近とても悩む。
小学生の頃から何でもそこそこできた。
勉強もスポーツも。
勉強は教科書的なもの、つまり答えのあるものを覚えた上で、再現性を問われるものは得意。吸収力、向学心をもとに今も尚、知的好奇心が揺さぶられる。大学で私学に行けたのはよかった。自分の学びたいことが理論的にたくさん吸収できたからだ。
ただ、算数的なものだけは専らだめ。つまり、理系科目が苦手。疑い深い性格だからか、数字への信頼性が低く、不安症が祟り、つまづくことが多かった。計算スピードが遅い。
スポーツは、バドミントンで京都や近畿の代表として全国大会にも何度か出られたことがある。
走るのもそこそこ早い。リレーも駅伝も選ばれていた。体力テストでは学年のトップクラスに入る。
バレーボールとダンスだけは出来ない。
芸術的な才能もそこそこある。
一番は歌うのが好き。
これは小学生の時から。コナンを通した音楽との出会い。GARNET CROWから深く哲学的ともいえる歌詞と美しくアートなメロディの世界にハマった。中学の時にYUKI(JUDY AND MARY)に人生を救われた。大学ではgleeを通して洋楽を知り、ゴスペルを身につけた。
絵を描くのも好きだった。
小学生の時は漫画も描いていた。漫画はBOOK・OFFに買いに走り、実家の本棚は漫画だけで200冊を超えるだろう。
描いた絵も文部科学大臣賞に選ばれたこともあった。
書道を小一から6年ほど習っており、京都新聞社の賞には毎回選ばれていた。
お笑いも好き。
小学生のときから吉本新喜劇を見てきたからか、理論のある笑い、理論を基礎とした上での崩れた笑いの瞬発力が好きだ。
お笑い芸人は頭が良くないと出来ないなぁとつくづく思う。起承転結、つまりオチをつける能力は、素晴らしいと思っている。
中学の時にいじめられた経験から身につけた、自分の笑いのスキル。プライドの高い自分、負けず嫌いな自分を押し殺して、自虐もできるようになったのは中学の時。
これは人と仲良くなること、良いチームづくりには大いに貢献してくれる。
モノマネも得意だ。
これは歌が好きなこと、英語が好きなことにも通ずると思っているが、耳がいいのだと思う。
ピアノを習っておけばよかったと大学のとき、ほんとうに、後悔した。ピアノもギターも弾けるようになりたいな。
最近は文章を書くことも好きだ。このブログもそう。感情のままに書き連ねることで、意外とドラマチックだったりするし、言葉の選び方が自分のセンスが良くなったと感じることは増えた。
文章を書くことは、今を、刹那性を、切り取って、記録に遺す作業であると感じている。
中学の時に通ってた塾で、国語の先生をやっていた塾長から、『面白い文章を書く力があると思う』と言ってもらった。
これは当時全く信じられず、国語は苦手で、現代文の解釈もトンチンカンな方向に読み誤る始末だったので、信じられなかった。
文章力が向上したのを実感したのは、卒論を書く時だ。
あまりに追い込みすぎたと思ったが、1週間で5万字をすらすら書けた時に、しかも手直しがほとんど要らないレベルとゼミの教授に言ってもらった時に、驚く程に書く力が成長していたことに気づいた。
おそらく就活でのエントリーシートがきっかけだ。
就活で成長するとはまさにこの事だと思った。
そして、昔からことある事に、チームで働くことが好きだ。色んなチームを経験した。
もちろん、嫌な思いをしたことも、チームが崩壊しかけたこともあった。でも自分がいたことで、潤滑油となり、チームがもちこたえたことも事実としてある。
私は何度転んでも立ち上がる。しぶとい雑草魂の人間だと思う。だから、何度裏切られても、傷ついても、人を信じることを諦めない。
自分だけでは出来ないことが、チームなら出来るということが、大好きだ。
チームの輪を作ることは、最近はもはやテクニックというレベルに達していると思う。
転勤生活でますます、磨きがかかり、コミュニケーション能力が伸長していると実感する。
なんというか、仲良くなりたい人、素晴らしい人との距離の詰め方がとても上手くなったと思う。
最近ではリモートでのコミュニケーションすら、得意としている。
もちろん疲れてはいる。気遣いをしすぎているのだと思う。
カメレオンのように自分のキャラをつくって、相手に合わせている。結果自分が疲弊して、寝込んでしまうこともある。
それでもやっぱり、人に期待しすぎてしまうし、期待したいのだと思う。
しかし、わたしは悩んでいる。
28歳になる年で、社会人6年目の今。
仕事とプライベートの両立に悩む。
プライベートを充実させたい思いでいっぱいなのに、自分の知的好奇心が時間を阻んでいくように感じる。
半年間におよぶ女性リーダー研修を受けているからかもしれない。
プライベートでは、家族や友達を引き続き大切にしたい気持ちが大きい。リモート研修で得られたような新しい親友にも出会いたい欲さえある。人生を生きていくには必要な親友は既にたくさんいるし満足はしている。でも、まだまだ人生を豊かにしてくれる財産には沢山出会えると信じている。
何より、1番の悩みと言って過言ではない。人生のパートナーを見つけたい。私は本当に寂しがり屋なので、自分のためには生きられない。利他の気持ちが強すぎる。人が好きすぎる、なんでかわからない。人に期待しすぎてしまう、裏切られても傷ついても、やっぱり、人が好きだ。だから、自分が全力で向き合えるパートナーが欲しい。結婚相手が欲しいし、子どもが欲しい、2人は欲しい、そんな想いが今は何より強い。
それなのに、知的好奇心が抑えられない。
研修の内容はエグい。泣きそうになるくらいしんどい。というか、もはや泣いている。
それなのに、知的好奇心に火をつけられ多くの時間を割いて取り組んでいる。出会えたメンバーとの絆も大きいが、本当に素晴らしい。
やはり喜びというのは、辛さを乗り越えた先にしかないと思う。私は真面目なので、一生懸命生きることでしか、自分を保つことが出来ない。サボると自己嫌悪になってしまうのだ。なんて損な性格なのだろう。
仕事だって6年目の今、とても楽しい。
体がボロボロになりながら、プライベートを犠牲にしながらなのに、やり出すと止まらなくなる。
仕事で人を動かすこと、人を育てること、昨日より今日なにか改善していくこと、クリエイティブな発想をしていくこと、、全てが楽しい。社会学を学んだことが仕事にめちゃくちゃ生きている。
辛いことの方が多いが、やり遂げた達成感に溺れてしまう。麻薬なようなものである。
上記だけやっていれば、出世だって出来るかもしれないし、十分人生は豊かかもしれない。
それなのに、私はまだまだ飽き足らない。
バドミントンだってしたい。
歌だって、本格的にやってみたい。
人生の夢は何か?と聞かれたら、まだおそらく、歌を人に届けることだ。
ライブがしたい。歌で人の気持ちを動かしたい。
自分で歌詞を書いて、メロディを作って、自分の気持ちを届けてみたい。
芸術は勉強よりも何よりも一番難しいことだから、踏み出せていないけど、人生一度きりと言うのならば、やはり、音楽を発信する立場になりたい。
どんなステージでもいいから立ってみたい。
また大学の時のように歓声を浴びてみたい。
緊張しているのに、あがり症なのに、本番での憑依的な力が発揮できると癖になる。
ステージでの自分が輝いて、何よりも好きな自分でいられた瞬間だったのかもしれない。
そして、コミュニケーション。
自分は器用貧乏だなと思うことがある。
本当の自分がわからなくなることすらある。
テンションの高い私も、面白い私も、めちゃくちゃ真面目な私も、ネガティブな私も、涙脆い私も、ぜーんぶ私なのだ。
それなのに私すら私を分からない時がある。
二重人格?
そんなつもりはなくて、全部本当の自分。
でも、なかなか理解してくれる人は多くはない。
だから何者なんだ。
なにかを極めれば、つまり、限りある時間の多くを、何かひとつに費やせれば、形になることもあるかもしれない。
私は欲張りだから、昔からなにかを諦めたりすることが少なかったのだ。
なにかで一番やトップをめざすのか、それともオールラウンダーとして、全てタイミングで興味の出たことだけ、コソコソやるだけの人生でいいのか。
私は何者なのだろう。