ポジティブ

1ヶ月前から名古屋に帰ってきて、心療内科に通っている。

昨年11月頃からパワハラ適応障害自律神経失調症と診断され通っていたのと同じところ。

2月末頃には症状が落ち着きつつあり、薬を飲むのを少しずつやめつつあったが、1月に部署異動し、営業から内勤になり、仕事の刺激のなさやつまらなさみたいなものを感じていた。

2月〜3月末にかけては、そういえば元彼とよく喧嘩もしていた。私の転勤や一人暮らしの寂しい気持ちを分かってくれない、価値観の不一致みたいなところも徐々に浮き彫りになってきていた。そうだったんだと思う。

そんな中、4月にコロナが深刻化し、元彼との些細な喧嘩からの音信不通、超優秀な上司に変わり、今までと考えられないくらいの仕事量となり、気持ちは沈んでいく一方なのに、仕事への前向きな取り組みを求められ、プレッシャーを感じて、4月末〜5月は本当にしんどかった。

「起きている時間がしんどいから、ずっと寝ていたい。寝ていても悪夢を見るし、日中寝すぎて夜眠れない。あ〜誰か私の人生代わりに生きてくれよ、今まで劣悪な小中学校の奴らとは決別して、頑張ってここまでのし上がったんだよ…。でも、誰かが代わりに生きてくれるなんて無理なんだから、もう死にたい…。なんで傍から見たら恵まれているのに、私の心はこんなにネガティブな方向なんだろう。そんな自分が嫌いだ。しんどい。」

毎日ずっとこんな不穏なことを考えてきたので、本当に毎日気持ちがしんどくて、両親にも心配をかけていたと思う。

完全在宅が6月7日に終わり、両親が名古屋まで車で送り届けてくれて、本当に1人で生活と仕事をして行く不安に押しつぶされそうになったが、安全策をはるために心療内科に通うことを再開した。

本当にプライベート、仕事、生活全ての不安や体調不良のことを全部吐き出した。

それによって、薬も血液検査や心電図をとったりしないと飲めないような以前よりは強い薬が処方されたが、薬がよく効いてくれた。

この1ヶ月涙腺が弱くて、些細なことで泣いたり感情の起伏はあったが、仕事が6月中旬から少しずつ認められたこともあり、自信になり、「仕事が楽しい」という感覚が初めて出てきた。

5月に転職サイトに登録したり、会社を休職することばかり、毎日考えていたのに、考えられないくらい、仕事に前向きになった。

自分でもびっくりした。

「仕事に助けられることもある」

転勤して行ったが、本当にお世話になった女の先輩がそう言っていた。

初めてそれがわかった。

 

今回の大失恋に際し、リモート電話の流行りという世間の流れも手伝って、途中経過から別れに至るまでたくさんの友達が話を聞いてくれた。

5月は、「なんでこんな私なんかのこと、友達だって言ってくれるんだろう、素敵な友達に、友達と言って貰えるような資格なんて私には無い」と本気で思っていたし、自信が本当になかった。

でも、6月に別れてから、名古屋にいて対面で会ってくれた友達や、電話で話を聞いてくれた友達、心配してLINEをくれた友達が本当に沢山いて、本気で励まされた。

ある友達がこう言った。

「あなたがもし嫌な子であっても好きやし、何かをするから好きってわけでもないし、ただいるだけで、何もせんでも好き。だから悩んでたっていいわけ。あんまりうまく伝えられへんかってんけど、beingでただ存在しているだけで、いいんだよ!ということが伝えたかってん。友達関係を続けるために、良くあろうとしなくていいし無理しないでいいし、合わせなくていいしそのままでいいよ!ということを伝えたかってん。頭がいいから好きとか、有名な会社にいるから好きとか、なにかしてくれるから好き、とか、そういうのではなくて、あなたそのままで、価値のある人だよー!ってことが伝えたかったのです!」

特にこの子は私のことを本当に支えてくれて、距離がどんなに離れていたとしても、一番近くにいてくれた存在だった。

だいたいはみんなこんな感じで、私が失恋したから甘えて頼っても、嫌な反応はしなかった。今まで私がその友達にたいして、都合のいい甘え方や頼り方をしていたら、こういう時に離れていくこともあったかもしれない。

なのに、こんなに真摯に向き合ってくれる友達が何人もいた。私は今までこんなに素敵な友達と関係を築けて来れたんだ、と本当に本当に自信になって、「もしかしたら私って素晴らしい人間なのかもしれない?!」というどポジティブな気持ちすら湧いてきている。

薬も飲んでるし一時的なものかと思ったけど、なんやかんや、1ヶ月くらいそんな気持ちが持続している。

今までになかった、本当に素晴らしいことだ。

 

人生は大学卒業するまでは、だいたい、期間が区切られており、終わりに向けて頑張っていけばいい感じに生きられる流れとなっていた。

小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年。

「最初はいろいろあったけど〜、卒業する時はこんな素敵な仲間が得られて最高!」みたいな安っぽいけど、本当にそんなことを今まで感じてきた。

でも現実問題として、今も尚財産として残っているのは、高校と大学の友達だけだ。笑

思い返せばあんなに闇過去であった、中学校のときでさえ、仲間最高とか当時は思っていた自分すらいる。笑

中学校までは本当に世界が狭すぎて、その中で生きていくしか無かった。本当に辛かった。

高校に入って、何度か中学のときの''仲良しグループ''とやらの集まりに参加したけど、どんどん話は合わなくなったし、そもそも10人中半分のメンバーは嫌いだったし、未だに連絡をとってる子なんて、幼稚園から一緒だった友達1人だけだ。笑

高校から自分で選択して、人生を切り開いて、ここまでなんとか来ることが出来た。

本当に自分の努力と、親の支え、その時々に支えてくれた大人や友達のおかげだ。

会社に入って、なんでこんなに劣等生なんだろうと本当に悩み続けてきたけど、会社にいる人たちは、私のような中流家庭ではなく、親がお金持ちで、中学受験、ずっと私立、からの優秀な学歴など''文化的再生''で、ここまで来るのが容易かった人が大半だと思う。

そこに、自分の努力で並べている、ということだけで本当は素晴らしいのではないか?

ただ途中から、自分にあるものより、相手にあるものばかりが見えて、羨ましいとかなんで自分はこんなに駄目なんだと、自己嫌悪ばかり繰り返してきた。

 

最近はあんまりそんなふうに思う機会が減ってきた。

薬の効果か、失恋かきっかけか。

どん底まで沈んでいたのに、少しずつ上がってくることが出来つつある。

そう思えば、今回の件がいいきっかけになるかもしれない。

このまま、何気ない日常を大切にする心と、周りにいてくれる大好きな人達を大切に、何より自分自身を大切に、人生をゆったりと自分のペースで歩んでいきたい。

今はそう思っている。

 

また書きます。