''選択''のとき

今までは、仕事を辞める時は「私のタイミング」で辞める時やと思ってた。

でも、最近仕事が上手くいってなくて、というか直属の上司と上手くいってなくて、というか、私は「パワハラ」を受けていると思っていて。

それで、仕事を続けていくことが揺らいでいる。

私のタイミングではなく、自分が尊敬できない、評価できないその上司に「タイミングを作られる」という恐怖に脅かされている。

このままでは、いつか精神的に折れてしまう時が来るのではないかという不安に襲われている。

営業であるのに、アポをとり外に出ることが怖くなってしまっている。会社も休みがちになり、精神的に安定していない。

いつもの私は、笑って周囲を盛り上げて、期待される自分でいたいと理想を高く掲げるがため、気を遣って、本当の自分がなにか分からなくなり、自分を知らず知らずのうちに消費させてしまっていた。

私はこんなに弱かったのか、と自問自答も並行している。

 

 

プライベートにおいて、大きな変化が訪れたことも、ストレスの要因かもしれない。

最近、6年ぶりに彼氏が出来た。寂しがり屋で、誰かに好きって肯定してもらわないと生きていけない私は、ずっと彼氏は欲しいと思っていて、なのにできないっていう辛さと闘っていた。社会人になってからは恋活するに環境も辛かった。見ず知らずの東北で、しかもそのうち2年は岩手という田舎。初詣の度に、「今年こそは」って願がけしていて。それでもダメで。でも今から思えば、環境でどうにもならないこともあると客観的に見れる。名古屋に来てからは、半年くらいは上手くいかないことが続いたけど、告って玉砕という久しぶりの失恋もしたし、微妙な人達と合コンだとかパーティとかデートとかにもいって、色々ダメージを受けながらも、「恋活は部活動」という友人の言葉の通り、苦しみながらやっと、やっとの思いだった。

 

女性として感じていたコンプレックスが埋められたと思ったら、また次の不安や悩みがでてきた。26歳目前として、出身地が違い、愛知で生きていきたいと思う人を好きになった。

私はあと1年なのか、2年なのかいつ来るか分からない転勤のタイミングというリスクを抱えている。今なぜ仕事を頑張っているかと考えると、「強迫観念」という言葉がすんなり腑に落ちた。

仕事でできない認定をされてしまうと、また地方部に転勤になってしまうのではないか、結婚相手がいないとどこでも転勤出来ると会社は判断するので、また地方都市への転勤命令が出るのかもしれない。

そんな中、親友の助言を受けて、10年後の35歳の時、「キャリアと家庭どちらを持っていたいか」を考えた。すると、すんなり「家庭」という答えが出てきたのだった。人とのコミュニケーションをとることが喜びの私にとって、もちろんキャリアは大事だが、優先順位は家庭だと考えた。

その話を彼に早速持ちかけてしまった。あなたと一緒にいたいと思っているから、自分の転勤をどうしたらいいか分からない。転職も視野に入れて考えようと思っている、そこであなたは私との展望をどう考えているのか?という結婚願望の話をもちかけた。玉砕した。

最大の譲歩のつもりで「30歳までには」と伝えたが、5年以上待たせるかもしれないという回答をされた。相手も一応転勤があり、30歳頃に自分のキャリアを見つめ直したいという時期が重なる可能性もある、という話をされた。私のこともまとめて引き受ける的な自信が持てるのが彼にとっての30歳なのかもしれないが、わたしの思っているタイミングとのズレが早い段階で明らかになった。

おそらくこのままでは、26歳から30歳という1番いい時期を、惚れた腫れただけの恋愛に費やして、そのままお別れになってしまうような気がしている。

転勤した土地で私を受けとめてくれる人がいるという、「今」だけを切り取ったらきっと幸せだ。でも、「結婚して子どもがいつか欲しい」「仕事も頑張りたい」と感じている私に、今の人が合っているのかは、分からない。

また、周囲の環境も変化しており、結婚して子どもがいる友達も増えてくる。子どものことをかんがえなければ、結婚なんていつでもいいのだろう。婦人科に行って、生理不順を相談する私は、子どもが産める体なのかそれすら分からない。

最近体の至る所から不調が出ており、生理前に憂鬱になったり、生理痛が酷くなってしまった。

 

そんなプライベートの環境変化もストレスになっているのかと思っている。「仕事」「プライベート」という2軸の両方が今までと大きく変わり、揺らぐと、精神的に不安定になってしまった。

 

研修にくっつけて、週末を久しぶりに東京で過ごした。昔からの私を知る人と沢山会うことが出来た。

名古屋には、私のことを昔から理解してくれている親友という人はおそらくいなくて、だからこそ、対面で会えた旧友達との会話には心が浄化された。

 

自分のことを肯定してくれたからかもしれない、だけど、大好きな親友達なので、彼らのメッセージを正面から受け止めてみようと思った。

今までの私は、「私のことを好きでいてくれている人の肯定は嬉しいけれど、客観性に欠けるかもしれないから、全部真正面から受け止めたらダメなのかもしれない」なんてひねくれたことを考えていた。

 

さて。なぜ、「仕事をとるか」「家庭をとるか(プライベートをとるか)」の二項対立で、どちらも叶えたいということが困難なのだろう。時代の過渡期なのだろうか、先のことを不安に考えすぎな、私が悪いのだろうか。26歳目前にして、''選択''をしなければならないのか、答えがまた闇に消えた。

 

なんで生きていくのはこんなに難しいのだろうか。