何者
私は何者なのだろう。最近とても悩む。
小学生の頃から何でもそこそこできた。
勉強もスポーツも。
勉強は教科書的なもの、つまり答えのあるものを覚えた上で、再現性を問われるものは得意。吸収力、向学心をもとに今も尚、知的好奇心が揺さぶられる。大学で私学に行けたのはよかった。自分の学びたいことが理論的にたくさん吸収できたからだ。
ただ、算数的なものだけは専らだめ。つまり、理系科目が苦手。疑い深い性格だからか、数字への信頼性が低く、不安症が祟り、つまづくことが多かった。計算スピードが遅い。
スポーツは、バドミントンで京都や近畿の代表として全国大会にも何度か出られたことがある。
走るのもそこそこ早い。リレーも駅伝も選ばれていた。体力テストでは学年のトップクラスに入る。
バレーボールとダンスだけは出来ない。
芸術的な才能もそこそこある。
一番は歌うのが好き。
これは小学生の時から。コナンを通した音楽との出会い。GARNET CROWから深く哲学的ともいえる歌詞と美しくアートなメロディの世界にハマった。中学の時にYUKI(JUDY AND MARY)に人生を救われた。大学ではgleeを通して洋楽を知り、ゴスペルを身につけた。
絵を描くのも好きだった。
小学生の時は漫画も描いていた。漫画はBOOK・OFFに買いに走り、実家の本棚は漫画だけで200冊を超えるだろう。
描いた絵も文部科学大臣賞に選ばれたこともあった。
書道を小一から6年ほど習っており、京都新聞社の賞には毎回選ばれていた。
お笑いも好き。
小学生のときから吉本新喜劇を見てきたからか、理論のある笑い、理論を基礎とした上での崩れた笑いの瞬発力が好きだ。
お笑い芸人は頭が良くないと出来ないなぁとつくづく思う。起承転結、つまりオチをつける能力は、素晴らしいと思っている。
中学の時にいじめられた経験から身につけた、自分の笑いのスキル。プライドの高い自分、負けず嫌いな自分を押し殺して、自虐もできるようになったのは中学の時。
これは人と仲良くなること、良いチームづくりには大いに貢献してくれる。
モノマネも得意だ。
これは歌が好きなこと、英語が好きなことにも通ずると思っているが、耳がいいのだと思う。
ピアノを習っておけばよかったと大学のとき、ほんとうに、後悔した。ピアノもギターも弾けるようになりたいな。
最近は文章を書くことも好きだ。このブログもそう。感情のままに書き連ねることで、意外とドラマチックだったりするし、言葉の選び方が自分のセンスが良くなったと感じることは増えた。
文章を書くことは、今を、刹那性を、切り取って、記録に遺す作業であると感じている。
中学の時に通ってた塾で、国語の先生をやっていた塾長から、『面白い文章を書く力があると思う』と言ってもらった。
これは当時全く信じられず、国語は苦手で、現代文の解釈もトンチンカンな方向に読み誤る始末だったので、信じられなかった。
文章力が向上したのを実感したのは、卒論を書く時だ。
あまりに追い込みすぎたと思ったが、1週間で5万字をすらすら書けた時に、しかも手直しがほとんど要らないレベルとゼミの教授に言ってもらった時に、驚く程に書く力が成長していたことに気づいた。
おそらく就活でのエントリーシートがきっかけだ。
就活で成長するとはまさにこの事だと思った。
そして、昔からことある事に、チームで働くことが好きだ。色んなチームを経験した。
もちろん、嫌な思いをしたことも、チームが崩壊しかけたこともあった。でも自分がいたことで、潤滑油となり、チームがもちこたえたことも事実としてある。
私は何度転んでも立ち上がる。しぶとい雑草魂の人間だと思う。だから、何度裏切られても、傷ついても、人を信じることを諦めない。
自分だけでは出来ないことが、チームなら出来るということが、大好きだ。
チームの輪を作ることは、最近はもはやテクニックというレベルに達していると思う。
転勤生活でますます、磨きがかかり、コミュニケーション能力が伸長していると実感する。
なんというか、仲良くなりたい人、素晴らしい人との距離の詰め方がとても上手くなったと思う。
最近ではリモートでのコミュニケーションすら、得意としている。
もちろん疲れてはいる。気遣いをしすぎているのだと思う。
カメレオンのように自分のキャラをつくって、相手に合わせている。結果自分が疲弊して、寝込んでしまうこともある。
それでもやっぱり、人に期待しすぎてしまうし、期待したいのだと思う。
しかし、わたしは悩んでいる。
28歳になる年で、社会人6年目の今。
仕事とプライベートの両立に悩む。
プライベートを充実させたい思いでいっぱいなのに、自分の知的好奇心が時間を阻んでいくように感じる。
半年間におよぶ女性リーダー研修を受けているからかもしれない。
プライベートでは、家族や友達を引き続き大切にしたい気持ちが大きい。リモート研修で得られたような新しい親友にも出会いたい欲さえある。人生を生きていくには必要な親友は既にたくさんいるし満足はしている。でも、まだまだ人生を豊かにしてくれる財産には沢山出会えると信じている。
何より、1番の悩みと言って過言ではない。人生のパートナーを見つけたい。私は本当に寂しがり屋なので、自分のためには生きられない。利他の気持ちが強すぎる。人が好きすぎる、なんでかわからない。人に期待しすぎてしまう、裏切られても傷ついても、やっぱり、人が好きだ。だから、自分が全力で向き合えるパートナーが欲しい。結婚相手が欲しいし、子どもが欲しい、2人は欲しい、そんな想いが今は何より強い。
それなのに、知的好奇心が抑えられない。
研修の内容はエグい。泣きそうになるくらいしんどい。というか、もはや泣いている。
それなのに、知的好奇心に火をつけられ多くの時間を割いて取り組んでいる。出会えたメンバーとの絆も大きいが、本当に素晴らしい。
やはり喜びというのは、辛さを乗り越えた先にしかないと思う。私は真面目なので、一生懸命生きることでしか、自分を保つことが出来ない。サボると自己嫌悪になってしまうのだ。なんて損な性格なのだろう。
仕事だって6年目の今、とても楽しい。
体がボロボロになりながら、プライベートを犠牲にしながらなのに、やり出すと止まらなくなる。
仕事で人を動かすこと、人を育てること、昨日より今日なにか改善していくこと、クリエイティブな発想をしていくこと、、全てが楽しい。社会学を学んだことが仕事にめちゃくちゃ生きている。
辛いことの方が多いが、やり遂げた達成感に溺れてしまう。麻薬なようなものである。
上記だけやっていれば、出世だって出来るかもしれないし、十分人生は豊かかもしれない。
それなのに、私はまだまだ飽き足らない。
バドミントンだってしたい。
歌だって、本格的にやってみたい。
人生の夢は何か?と聞かれたら、まだおそらく、歌を人に届けることだ。
ライブがしたい。歌で人の気持ちを動かしたい。
自分で歌詞を書いて、メロディを作って、自分の気持ちを届けてみたい。
芸術は勉強よりも何よりも一番難しいことだから、踏み出せていないけど、人生一度きりと言うのならば、やはり、音楽を発信する立場になりたい。
どんなステージでもいいから立ってみたい。
また大学の時のように歓声を浴びてみたい。
緊張しているのに、あがり症なのに、本番での憑依的な力が発揮できると癖になる。
ステージでの自分が輝いて、何よりも好きな自分でいられた瞬間だったのかもしれない。
そして、コミュニケーション。
自分は器用貧乏だなと思うことがある。
本当の自分がわからなくなることすらある。
テンションの高い私も、面白い私も、めちゃくちゃ真面目な私も、ネガティブな私も、涙脆い私も、ぜーんぶ私なのだ。
それなのに私すら私を分からない時がある。
二重人格?
そんなつもりはなくて、全部本当の自分。
でも、なかなか理解してくれる人は多くはない。
だから何者なんだ。
なにかを極めれば、つまり、限りある時間の多くを、何かひとつに費やせれば、形になることもあるかもしれない。
私は欲張りだから、昔からなにかを諦めたりすることが少なかったのだ。
なにかで一番やトップをめざすのか、それともオールラウンダーとして、全てタイミングで興味の出たことだけ、コソコソやるだけの人生でいいのか。
私は何者なのだろう。
「普通」って何?
1週間全力で駆け抜けた土曜日の昼下がり。
今期1番好きなドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』の最終回、井手上漠さんのフォトエッセイ『normal?』を読み直し、色んな取材記事や動画を見て、なぜか涙が溢れ出した。
別に、悲しいわけでも、嬉しいわけでもなく、涙が溢れて感情のままに泣いた。
最近の私は、本当によく涙を流す。感情的になることが多い。これは悪いことなのだろうか?
例えば、入社してからも会社で何かと泣いてしまうことが多く(笑)、「人前で泣くな」みたいなことはよく言われてきた。
でも私は、その涙で、誰かを責めたい訳では無いし、悲しいから泣いている訳ではないし、嬉しいから泣いていることもよくある。特に温かい言葉をかけられると泣いてしまうことも多い。
私の涙はそんな構造でできていて、無理に止めなきゃと思うことも多いけど、そう言い聞かせれば、また涙が大量に流れる。だから、感情が豊かだと思って欲しい。笑
「普通」って何だろう。
最近の私は、心が病んでいるわけでもなく、体がずっと疲れている。そんな状態で1月からもう半年になるんだな。でも安心してください。素敵な家族や友達、職場の人に恵まれていると思っています。きっと幸せなのだと思います。
昔から私は、私の中では何事も全力で手を抜かずに生きてきた、と思っている。「ほどほど」という言葉をあまり知らない。
本当は全部完璧にやりたいけど、同時に色んなことに興味が出てくるので、一つ一つは中途半端だなぁと思うことも多い。そういう意味では、あまり自分のキャパシティを知らない。
例えばバドミントン。小学校から中学校まで8年間続けた。これは、楽しいことの方が少なかったかもしれないけど、スポーツは好きだった。汗をたくさんかいて夢中になれる瞬間を愛していた。人間関係で苦労することも多く、勝たなければならないといったプレッシャーもあった。練習はあんまり好きではなかったし(笑)、そんなに強くはなれなかったので、高校からも続けようとは思わなかった。辞めることを勿体ないと言われたこともあったけど、色んな理由があり、ここは割愛。もちろん上には上がいると分かってはいたけれど、基本的には負けることが嫌いだったんだろうな。笑
大学では初めて表現の世界、歌で自分を表現することに挑戦した。小学生の頃からずっと歌うことが好きで、実は歌手になりたいと思っていたこともあった。でもずっと、親にも言えなかったし、誰にも打ち明けたことはなかったと思う。だから、大学では、部活でゴスペルに挑戦して、コンサートなどで聴いてもらえる場があって、夢が叶ったと思ったこともあった。
でも、一緒に取り組んでいた部活のメンバーからすると、本気でやっているように見えないところもあったと思う。笑
何をやっていても、私はまず学校の授業を真面目に受けることが当たり前だったし、ずっといい成績を取り続けることが、私の中では義務のようになっていた。大学までやり切ったという思いはあるが、未だに悪夢で見ることがある。しかも何度も。内容はだいたい、受験前に勉強せず遊んでいる自分、テスト前日に勉強をしていない自分(笑)。受験に失敗すること、単位を落とすことが基本的には怖いという深層心理なのだろう。
もちろん熱心に勉強をすることは悪いことではないけれど、私は正解がある問題を解くことにしか慣れていなくて、大学のゼミでは大変苦労をした。というより、勉強を頑張ることは私は当たり前だと思って生きていたが、授業以外のことでも学ぶことは出来るし、学校の課外活動だけじゃない、バイトでも、留学でも、遊びでも、何もせずだらだらしている時間だって、学ぶことは出来る。それを約20年間知らなかったのかな(笑)。
こんな優等生タイプの私は、社会人になってから激動の日々を過ごしてきた。3回の転居と3回の仕事内容の変化。もちろん仕事なので、辛いことの方が沢山あったし、沢山泣いてきたけれど(笑)、基本的には飽き性だし、色んなことが経験できて良かったのかもしれない。と、思うしか今の自分を肯定出来ないから……。(笑)思い描いていたもの、予定していたものとは全部違ったけれど、まぁ「そんなに悪くないかな」みたいに思えることも増えてきて、私は少し大人になったのかもしれない。
色んな変化の中で、社内の人とも年代問わず素敵な出会いもあり、社外のお客さんとも出会いがあり、プライベートでは、社外の友達で親友と呼べる人もできて、支えられている。最近は参加した研修でまだ直接あったことはないけれど、リモートで友達が出来つつあるとも感じる。
そして家族。どんなときも私のことを想ってくれて、基本的には私が幸せでいればいいよ、と言ってくれている気がする。
19年の11月、適応障害になってしまい、その後は鬱になったり、辛いことがあって、実は今も定期的に通院はしなければならないけれど、何だか最近の私は、心が元気だし、今の私の方が好き、と言えることが増えた。
周りからどう見えているか分からないけれど、基本的にはとてもネガティブな私。不安な未来を憂いて、いつも頑張らなきゃと自分で自分を追い込んで、現在がしんどいしんどいだった。なぜか過去は美しいので、だいたいの過去の自分には自信があるのだけれど。不思議ですよね。そんな25年間を過ごしてきたけれど、心の風邪をひいたときから、何とか乗り越えて、這い上がろうとしてきた結果、今の私がある。
しんどいだけでなく、お金も時間もかかるので、大変だったけど、前の自分より今の自分の方が好きかなぁと思えることが増えました。
一年後はまた嫌いになってるかもしれないけれどね(笑)。
真面目すぎるのと、欲張りなのはわかっているんだけど、それが私だし、きっと変えられないところの方が多い。
感情的に(!)書き殴ってきたけど、そろそろまとめます。
こんな私が、私にとっては「普通」で、私の価値観を周りの人に押し付けていることは無いかな?とハッとしました。冒頭のお気に入りのドラマや本を通して。
「普通」って言葉をつかって話を展開することとか、自分の価値観を無意識に人に押し付けてしまうことがあれば、どこかでブレーキを踏まなきゃ。
感情的な生き物なので、自戒の意味を込めて。(笑)
自分がいつもありのままで、欲深く、楽しく、幸せに生きていくことが何よりも大切。
大学の時に尊敬する講師から
「10人みんなに好かれなくていいから、そのうちの2人をファンにするような生き方でええんちゃうかな?」と言われたことがあって、そういう生き方をしていきたいなぁって思ったのよ。あんまり出来ていないけど(笑)。
それを母親に伝えたら、
「晃子はきっとそれで言いと割りきれないタイプ。
だから無理して好かれる必要もないけど、わかってくれる人だけで良いなんて頑張らなくても言いと思う。
それこそ人それぞれの感性と言うか気持ち良さがあるから。自分の心地良いようにしてればええんとちがうかな。」
だってさ。(笑)
無意識で、無理して笑ってしまうことも多いけれど、それが私だし。まぁいいか。
こんなことをだらだらと考えたお休みの昼下がり。そろそろご飯食べて、父の日のプレゼントでも考えよう。(笑)
おしまい。
今が理想
あと半年は名古屋にいることが確定した。
今の気持ちはどちらかと言うと前向きな気持ちの方が強い。
12月は本当に無気力で心がしんどかった。はっきり「鬱状態」と言われた。
産業医の先生に関西帰ることを提案され、最初は驚いたものの、こういう形で転勤を回避することもありだなと思った。総務から異動について聞かれて、一晩で考えて「関西に帰りたいです」とはっきり伝えた。
社会人になってからずっと頑張ってきた。
慣れない一人暮らしだけでも大変なのに、加えて、地元より離れた仙台、盛岡、そして名古屋での新生活と仕事。
やる気に溢れて入社したのに地方勤務スタートで、汚い社内・得意先のおじさん達に囲まれ、デリカシーの無い言葉に耐えながら、頑張れば次こそは都会に行けると、負の感情をエネルギーに替えて頑張ってきた。本社での仕事への憧れの気持ちはあるが、どちらかと言うと、今はもう、自分の生活を丁寧に大事にしたい気持ちが強い。東京本社にしかない仕事があるけれど、コロナ禍の今、私のメンタルで住んだことがない東京は怖い。優先順位は、生活を大事にして一旦落ち着かせることのほうが、仕事で叶えたい夢より勝つようになっている。自己実現とプライベートのバランスは難しい。
全国を転々として過酷な環境に置かれている割には、友達やなんやかんや会社の人にも恵まれてはいたんだと思う。今名古屋でも孤独を埋めてくれ、本音で話せる友達がいる。わたしはやっぱり、自分の安心出来る女友達をつくるのがとても上手い。これは、自負している。有難いことだ。
とはいえ、過去のブログを振り返っても、全国転勤はしんどい。全国転勤の意味が本当に「全国」を意味しており、同期と比べても私だけ地方で雑に扱われているのでは…男扱いされているのか?学歴が低いから地方なのか?など被害妄想が膨らむ一方で、とても辛かった。
よく頑張ってきたなぁ……あっという間の20代だったが、思い出は結構詰まっている。ただ、人生のステージは進んでいないかな。。時間だけが猛スピードで進んでいく。
わたしはキャリアもプライベートも両立したい気持ちが強い。悪いくせで、欲しいものは全て欲しいと、わがままで本当に欲深い。でも、そのエネルギーがあるせいで、昔から妥協するのが嫌で、そのためなら努力して行動的を起こしてきたという自負もある。
一人暮らしして改めて、極度の寂しがり屋であることも分かり、彼氏もほしい、結婚もしたいし、家族を持ちたいし、自分の親にも孫の顔を見せてあげたい、なんて未だに結婚に夢を抱いている。
コロナ禍で新しい出会いどころか、人と会うことすら制限される中で、孤独とのバランスをとりながら、仲のいい友達とだけ週末は会う。出社はしないので平日はほとんど一人で家で過ごすことが多い。
1月中旬頃から自分との向き合い方が少しずつ上達してきたと思う。
Oisixで自分のために手をかけて料理をして、リフレッシュにもなるし、やっぱり手作りは美味しい。コンビニやスーパーのお弁当も買うことがあるが、なんだか味気なくて、自分を大事にできていないようで悲しくなる。
お風呂は毎日のようにお気に入りの入浴剤(クナイプor温泡)を入れている。お風呂から出たら、ルルルンの顔パックを毎日して、その上からお気に入りのALBIONで保湿する。お肌がツルンツルンになる。
Netflixにも加入して、韓流ドラマにも初めてハマったし、今は大学時代、私の青春だった海外ドラマgleeをイッキ見している。
こんな感じでなんとか元気になってきて、心身ともに落ち着いた状態を1ヶ月半以上維持できている。今回異動がでなくて本当にホッとした。夏頃まで大きなプロジェクトを任されており、これが成功すれば私の仕事での成果といえ、自信になると思う。最近は仕事もそんなに嫌ではない。せっかく12年振りに再開できたバドミントンで試合にも出てみたい。
残り半年かもしれない名古屋を存分に楽しみたい、そんな前向きな気持ちが生まれている。
さてここで、タイトルの意味を。すごく素敵な言葉の贈り物を恩師から貰ったので忘れたくなくて、書き記す。
私「秋に関西で異動希望出してます。。心を落ち着けて働くのに、その方がいいかなとか。。(弱気モード)
でも仕事は認めてもらえてる名古屋のほうがいいんですよね。。難しい」
恩師「何事も縁だし、仕事の評価は積み上げだからね。流れでゆるやかにやっていきましょ。」
私「何事も縁かぁ〜。仕事中心に流れる人生もありなのか。。優先順位難しいいいいです」
恩師「今これをしてないと次に行けない、みたいのもあるけど、なんとかなるものも多いし、そもそも人生を「いつまでにこれをする」みたいに考える限り、常に今は理想から減点されたものになるので、今こそ理想!って思うがよいのです。」
私「さすがです、私の考え方よくご存知で。。社会人なってから「いつまでにこれする」が全然思い通りにならず、減点式でした。。」
とまあこんな感じで、私の考え方を見透かされていました。
つらつら書き並べてみて、たしかに今も楽しんではいる。ならば、今が理想でもいいんじゃないかな、そんな風に少し思えたりした。心が少し軽くなったので、忘れた時はまたここに戻ってきたい。
26→27
26歳お疲れ様。
本当に色んなことがあった1年だった。
振り返ると、序盤さえ幸先良いスタートかと思ったけど、完全に厄年だったと思う。
この1年苦しかったのは、私だけではない、分かってる。
でも、私には私の地獄があって、人生の中でも1番くらい苦しんだ1年だった。
長く体調を壊したし、精神的にも不安定になって、薬を飲み続けていた。
さっき元彼と別れるべきかどうか悩んでた時のメモが出てきて、読み返してみたら、私結局相手の外見ばかり好きだったみたいだった。笑
関係を続けていくデメリットを読み返すと、なかなか厄介そうで、コロナとかきっかけがないと、この先もずっと私が苦しんでいく内容だったので、良かったんだと思った。
冷静になると、そんなことに気づくのか!笑
神様が早めに「やめとき〜」って危険信号を出してくれたんだと思う。
転勤で名古屋に来て1人で寂しいだけだ。
寂しがり屋なことは、一人暮らしを始めてから気づいている。
誰かと関係を始めることも難しいが、終わらせることはもっと難しいということを学んだ1年だった。
この経験ができて良かった。
この1年は私にとって、間違いなく厄年であるが、長い人生で振り返ったらきっと転機だったと、笑える日が来るはずだ。
27歳はもっとありのままに、ワガママに生きていこう。
元気な自分を演じすぎず、元気がない自分も受け入れて、無理はしない。
元気がない私だって、大切な私。
ささいな日常の幸せをすくい上げるように生きていこう。
「美しいものを見て、美味しいものをたべて、好きな人と話して」
これが人生の最高の幸せなんだ。
人生に期待しすぎずに、とはいえ、落胆しすぎずに。
生を与えられた理由はやはり分からない。
正解は、基本的にはないのだろう。
正解とされていることは、人間が多数決で作ったもの。
人生は例え健康でも、そうでなくても、最後まで生き続けなければならない。
それがこの世に産まれてきたことに対する試練なのかもしれない。
あまり不安がらないで、怖がらないで。
私という存在とはずっとこの先も一緒にいるのだから、私だけは一番の応援者であり、理解者であるように。
時間は有限だけれど、やっぱり私はまだまだ若い。
人生という旅を続けよう。
旅は楽しいだけではない、険しく、ハードなもの。
でもきっとその先に喜びも待ち受けているはず。
頑張れない
最近の私。
エネルギーが枯れてます。
多分10月から仕事を全然頑張れていない。
だからか、週末も心から楽しめていない。
根は真面目なのにサボるから、自分を責めてしまって苦しくなる。
6月まで鬱っぽくて、7月から薬飲みながら立ち直ってすごくポジティブになれていたのにね。
9月末でエネルギーがプチって切れた。
今は「無」って感じ。
薬飲むのを辞めたからかな。
友達にバリキャリウーマンと呼ばれたけど、仕事を頑張れてない自分なんて、意味があるのかな。
転勤で来てて、仕事も満足に出来てないし、結婚の予定もなければ彼氏もいないし、自分で働いてお金を稼がないと生きていけないのに、何をやってるんだろう。
一生懸命やってそれでも出来ないなら、許される気がするけど、最近の私は人生で1番くらい頑張れてない。
学生時代のあのエネルギーはどこへ行ったんだろう。
入社してからも過酷な環境でもエイヤーってエネルギーだけはあったのにな。
また鬱っぽくなってるのかなあ。
はぁー。しんどいな。人生この先楽しいことなんてあるのかな。
量と質
こないだ友達と話してて、凄く腑に落ちたのが、私は「量より質」を大事にしたいってこと。
入社してから、営業を約3年半経験して、営業企画を9ヵ月ほど経験した。
今はリーダーに恵まれたことは大きいと思うが、今の仕事「営業企画」の方がやりがいがあると思う。
その理由は、営業のために役に立つことを丁寧に考えて、それが役に立つと営業から感謝されるというフィードバックが得られるから。
定量の目標は、数字が全て。プロセスを見るとは言っても結局、数字やってたらサボってても評価される。
私の場合無駄に責任感が強いから、数字を行かせられないと自分を責めてばかりで本当に苦しかった…。
担当するお客さん次第で数字が伸びひんことも往々にしてあるのに。
定性の目標は、質を高めることに集中できる、という印象。まだ1年間も働いていないし、評価を受けた訳では無いからパフォーマンスがどうかはわからんけど、着任して10ヵ月での成長を感じられる。
22時以降サービス残業したり、土日もパソコン開いたりという営業時代のような、心身ともに疲弊する働き方をしていないことも大きいとは思う。
追われるように仕事せんでよくて、一人ひとりに丁寧に向き合うことが出来る。
もちろん、営業からの問い合わせが殺到することもある。
でもやっぱり、人の支えになることできるのはやりがいを感じる。
そういう意味では社内の人に恵まれているのかも。
社外の人に心無い言葉を沢山言われてたから、精神衛生上良いのかも。
「私たちは見えるものにでは無く、見えないものに目を注ぎます」
まさにこれ。見えないものを大切にしていきたい。
あるものを数えるか、ないものを数えるか
私は人生に期待しすぎているのだと思う。
だから、現実と理想のギャップがあり、「いつもなんだか満ち足りていない感じ」がつきまとうのだろう。
理想ってなんだろう。理想を叶えられると、幸せなんだろうか。じゃあ幸せってなんだろう。
持っていないものにばかり目がいくけど、持っているものに目を向ければきっと幸せなんだろう。
傍から見ると私はきっと幸せに見えるんだろう。
ではなぜ私は胸を張って「幸せだ!」と言えないんだろう。
そもそも、理想や幸せの定義をしていない。向かうべき目標も決めていなかった。
仕事でやりがいを感じるときはたまにある。
そんな時はどんな時だったか、振り返れば、追われるように仕事をして、やり切った時だったりするし、結局しんどいしんどいしんどいしんどいしんどいが続いて、ふわっと沸いて達成感があるような気がする。
つまり、しんどいことを経験しないと、喜びも感じられないのだ。
休みだってそう。きっと毎日が休みだったら、ダラダラしてそんな自分に自己嫌悪になって、しんどい。
日々働いたから得られる連休だからこそ、喜びを感じられるのであって、やはり、しんどさを経験した上でしか、喜びを感じることは出来ないのだ。
大学時代の夏休みなんて2ヶ月くらいあったが、最後の方はやることが無くなって病んで、「そろそろ学校に行きたい」なんてことを言っていた気がする。
「人生には意味が無いから、意味を問い続けると病む」とネット記事に書いてあった。
友達は言った。
「人生のピークは学生時代。
その後にあるのは、ただゆるやかな絶望。」
まだ手に入れていないから、憧れや羨ましさがある、結婚や出産。
実際は制約や責任がつきまとい、大変なことが多いのだろう。
独身は「ずっと独りなのかな」という不安や虚しさと闘いながら、何をするのも自分で自由に決められる。
自分のために時間もお金も使える。生活に苦しさはない。
人生100年時代だか知らないが、5分の1で人生のピークが終わり、あとは三大義務との闘いがスタートする。
「納税の義務」「勤労の義務」「教育の義務」
義務が多すぎはしないか?
そして義務を果たす期間が長すぎはしないか?
毎月給与から多くの税金が天引きされてしまうが、私のお金なのに……と寂しい気持ちになる。
では、幸せを感じるためには何をすればいいのだろうか。
芸術に触れる?先人の学びが凝縮された本を読む、映画を見る、音楽を聴く。きっと全て正解。
友達や家族との時間を大事にする?会う人が自分の好きな人で、会った時にストレス発散できたり、会った後にも「また会いたいな」と感じられたら、きっとそれは大事な人なんだろう。きっとこれも正解。
仕事を頑張る?週の大半は仕事の時間なので、仕事を一生懸命やって、それが誰かのためになってると実感できて、感謝までされたなら、きっと仕事さえ、正解にできるはず。これはなかなか難しい。
でもやっぱり幸せは解釈なのだろう。
幸せを感じられる人は、どこにいても、誰といても、例えお金が無くても、ないものにでは無く、あるものを数え、現状に感謝して前を向くことができる。
頭では分かってはいるんだけど、頭で考えていることを心に落とし込むことはなかなか難しい。人間は欲深い生き物で、私はその中でも特に欲深い人間。
時にはちょっと立ち止まって、心を落ち着けて、あるものを数える時間が大事なのかなあ。