幸せとは(2020年4月22日)

昨年の春、書いたっきり下書きに入っていたブログをあげようと思った。

コロナが始まり、戸惑いが隠せない時期。

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コロナで実家に帰ってきた。

コロナにより会社が潰れる心配もなく、テレワークも3月初旬から推奨されており、実質の運用はリーダー命令で4月から始まった。

テレワークできない事業を展開している会社や、私と同じ会社でも生産や物流に関わるテレワークできない職種の方がいる中で、私はテレワークができる環境におり、恵まれており有難いと思うべきである。

でも私の心はモヤモヤとしていて、4月に入りテレワークを開始して1週間ほどしてしんどくなった。

気持ちを簡単にまとめると、外出できずプライベートがつまらない、一人暮らしの家で一人いるのは寂しい、と言った具合だ。

親に相談したところ、在宅で仕事ができるなら、実家に帰ってきたら?という提案があった。

それはいいアイディアだと思って、上司を説得し、この週末から実家に帰らせて貰っている。

1月から部署が変わり営業から内勤なったため、お客様から突然の呼び出しもなく、実家に帰っても業務に問題は無い。

ただ会社の一人暮らしをしている女の子達は、私以外はみんな営業なのでそんな訳にも行かないだろうと申し訳なくなる。環境に甘えてしまっている、と自己嫌悪だ。

 

それはさておき、社会人になり、実家を出て早4年がすぎた。家族と離れて暮らしていたが、とりあえず1ヶ月ほどは家族と一緒に暮らせることとなった。これは、コロナによる思ってもなかったメリットだ。

 

親は帰ってきていいよと言ってくれて、一人暮らしの家まで車で迎えに来てくれた。一緒に過ごす人がいるという家族の温かさに触れ、また、自分が生まれてから大学卒業まで暮らした故郷を歩き、これを機に自分を見つめ直そうと思った。

 

・子どもが暮らすには田舎なくらいがいい

実家を出るとすぐ、目の前には田んぼが広がっている。山から吹き降ろす風や夕日を遮るものはない。家の中からでも通っていた小学校は見えるし、チャイムの音も子どもが遊ぶ声も聞こえる。

そう思うと、私の名古屋の一人暮らしの家は、会社までも、名古屋駅までも近く、とても便利だ。都会な暮らしだと思う。

しかし、周りに豊かな自然も少なく、少し歩けばビルが建ち並び、無機質で寂しい場所なのかもしれない、と初めて思った。豊かな心が育まれる場所ではない。長く暮らす場所ではないな、と思った。

生活には便利さだけでは心のゆとりや豊かさは生まれない。

 

・悩みのない人生なんて

悩みのない人生なんて、薄っぺらくてつまらない。誰かの言葉で聞いた気がする。

 

・時間が経てば、辛い過去もちっぽけでよく見えたりもする

私の闇であった中学校まで歩いてみると、とても近くてちっぽけに見えた。あの時は私の世界の全てで、苦しめていたものが、今からするととてもちっぽけで小さい。

 

・お母さんのありがたさ

3食作って、家事もして、私のメンタルのフォローもしてくれて、偉大だ。本人はそうでは無いとは言うけれど。

 

・家族でいると観る番組が変わり、観ていても満足感がある

一人暮らしでは全く見なかった番組を見るし、見ても面白い「鶴瓶の家族に乾杯」「こんなところに日本人」など。わたしはやっぱり1人で生きるのに向いていない。

 

・親がもし片方亡くなってしまったら

2人で暮らすには大きいこの家に1人残すのか

自分の仕事の都合で転勤し、それを理由に家族を

 

・人間はいつか死ぬ

成長を目指すことは前向きで大事だが、目指さなくても死んだら同じ