オフラインの友達

今日は友達と久しぶりに会った。

オンラインではなく、直接あったのが二ヶ月以上ぶり。

12時に待ち合わせして、別れたのが23時半。笑

11時間半も一緒にいてずっと話続けられるのが凄いし、転勤で来た土地でそんな友達と出会えて本当に良かった。

色んな言葉を貰ったので忘れたくなくてメモする。

 

・最近、過去に辛いことがあった人の方が乗り越えて、今現在前向きだったり強かったりすることがあると思う節が増えた。それに比べると私はそこまで大きな挫折はしていないのかもしれない。例えば親が優しくて甘やかされて育っている。それなのに、ネガティブで悩んでばっかりいる。情けないと思っている。もちろん、苦労をしなかった訳では無いし、いつもギリギリの中だったけど、なんとか良い道を選べてきただけだ(過去は何故かいつも美しく見える)。彼女が言うには、やっぱり家庭問題で悩むことが少なかったというのはまず親に感謝すべきだ。そこは親孝行ができるうちに絶対にした方がいい。そして、辛いことがあったり、失敗をした子は私たちにエピソードを共有してくれて、私たちはそれを聞いて、経験してないのに、学んだり、教訓としたり、考え方の幅を広げることが出来ている。それによって、自分の生き方も「上手くいくことが全てではないよな」って、緊張を解すことができるというか、許容範囲が広くなる。だから、やっぱり友達というのは依存先をひとつにせず、色んな人の価値観を聞けるような場を持つのがいいということ。納得した。友達の良さは、自分の凝り固まった視野を広げてくれるところにある。依存先が少なくなると、今回の私のように潰れそうになる。

 

・私は仕事してて劣等感を抱いたり、できないって自分のことを責めてしまうことが多い。根本には、周囲の人と自分を比べてしまってしんどくなることが多いのだが。これは、とてもつらい。1週間のうちで5日も占めるのに、ずっと自己嫌悪に陥っている。でも、友達からすると、そんなふうに自分を律することができるというか、反省してて偉いと言われた。フツーは、反省そんなにしないらしい。やっぱり真面目すぎるって言われた。でもそれは良さでもあるらしい。今の自分に満足してたら成長はしないらしい。たしかに自信満々な人は、周りから見てて結構痛いヤツは多いと思っている。私みたいなのはしんどいけど、調子乗ってる奴も微妙やから、ほどほどがいいな。自分を客観視できるのが一番いい。やっぱり私は肩肘張りすぎず、もっと緩くていいのにな。

 

・私は社会人5年目なのに大して誇れることも無くて、明るく前向きに働いている後輩を見ていると、羨ましく思ったり、自分は過去そんな風ではなかったと思いがち。でも、友達は後輩に「社会人辛いのに、4年間も続けているだけで偉いですよ」と言われたらしい。そうか、いつも余裕だった訳ではなくて、ずっとギリギリの状態で仕事をしているけど、辞めずに仕事に行けているだけで充分偉いのだ、とハッとした。逃げずに向き合っているだけで自分を褒めてもいいのだ。

 

・私が今の職場で居心地が悪いことを言った。それは、小中高大と、自分が比較的集団の中でリーダーシップを発揮したり、輪の中心にいられることが多かったのに、今は学歴底辺って思って引け目を感じてしまったり、周りと比べて「私は仕事が出来ない」と思ってしまうことがあるからと自分では分析している。友達は私と似てて、小中のときは、クラスのみんなが憧れるような存在だったようだが、高校で進学校に行ったら、成績もあまり奮わず、自信があった部活動でも補欠になったらしい。地元では、「出来る子」というイメージを持たれていたから、地元の子達に会いたくもなくなったらしい。しかも、大学受験も東進ハイスクールに毎日通ってて、模試でもいい判定出てたのに、志望校に落ちて、思ってもなかった大学に現役で進んだらしい。でも、彼女は大学でゼミやインカレサークルやバイトも国際交流も頑張って、納得が行く大学生活が送れたらしい。なにより、ゼミの先生との出会いが大きかったらしくて、「会社に入ってから、学歴主義な風土な考え方の人もいるかもしれないけど、この大学を卒業したからこその''物事を見る考え方や価値観''という武器があるから大丈夫」と言ってくれたらしい。私は会社でなにか上手くいかないことがあると、大好きな大学やのに卑下して言うたり、「やっぱり旧帝大卒業してる子は地頭が違うから、叶わへん」ってすぐに思ってしまう。でも、その子の言う、母校を卒業したからこその''物事を見る考え方や価値観''という武器は、ほんまに多く得たと思っている。私もそれを大事にしようと思った。自分の大好きな大学を卑下して言いたくない、だからもう自分の過去を卑下するのはなるべく辞める。

 

・私は入社してから仕事内容が結構コロコロ変わっていて、専門性があまりない。広く浅くを学んできた。専門性が無いけど、経験は沢山ある方なのかもしれないが。ただ今の企画の仕事をする中で、私がやった営業の3つのうちの1つの営業を深く知らないと、企画としていいアドバイスができなくて、苦しいことが多い。企画として営業も気づいていないような視点をもって支援をしなければならないのに、自身に経験がないから、何も言えなくなる時が多い。そんな時私は''知ったかぶり''をしてしまうことが結構ある。周りにはバレてないかもしれないけど、自分の中ではちゃんと、知ったかぶりをしている。これは完全に自分のちっぽけな見栄やプライドがそうさせている。でも友達が言うように、仕事ができる人は例え40代でも後輩に分からないことは分からないことはっきり聞ける人らしい。エリア独自のルールも企業独自のルールもある。だから、恥ずかしがらずに「私馬鹿なので分からないので教えて欲しいんですけど…」って聞く勇気がとても大事だと思う。今はまだ5年目とかだから、聞きやすい環境にあるらしい。1年目の時から、聞くの恥ずかしいっておもってたけど、年次を重ねると聞きにくいのは、自分の見栄やプライドが邪魔をして、益々恥ずかしくて聞けなくなるからでは無いか、と気づいた。そして、できる人はたとえ自分が幾つであっても後輩にも聞けるし、聞く相手を考えればいい。みんな経験はそれぞれ違うのだから、全部を知ってるなんてことは不可能。やっぱりちっぽけな見栄やプライドは、成長を邪魔する。

 

・私は同調意識からか、年齢を気にしてしまう。「30歳までに結婚して、1年くらいは2人で過ごして、子どもも第一子を出産して…」のように人生計画を勝手に立てていた。相手がある事だけど、割と本気でそうしなければならないくらいに思っていた。でも、27歳にさしかかろうとしている今、別れただけで、心身のバランスを崩してしまうほどに、人生計画が崩れ去ったと絶望感に苛まれいる。友達も「30歳までに結婚して子どもは3人欲しい」と思っていたらしい。でも恐らくそれは叶いそうにないし、あまり焦っている感じもない。友達は会社の制度を利用して、1年間海外研修を受けることが決まっている。本当はこの秋からの予定だったが、コロナの影響でいつから派遣されるかわからないそうだ。それなのに、転勤の土地で一緒にいる時間を大事にしたい、だから沢山遊ぼうと言ってくれる。とても前向きだと思う。私は結婚とか考えると、この時期に1年間海外に行くことは、年齢を考えると益々遠のいてしまうのではないかと勝手に心配していた。ここで、私の別の友達だが、去年26歳の時に、会社の制度を使って半年間海外で働いていた友達もおり、ちょうど1月に帰国した。それに行くと聞いた時は、正直「女性にとって大事な時期に良く行けるなぁ」と思っていたが、彼女はとうに半年を終えて帰国したし、精神的にとても成長していた。あっという間だった。それを思うと、あんまり年齢を気にしている自分がバカみたいだなあと思うようになった。やりたいことをやるのに年齢は関係ないのだなぁ。昨日会っていた友達の話に戻すが、会社の同期には、結婚のタイミングと被っている子が海外行くかどうか迷っているみたいな話も聞く。でも、その子は他人は他人だし、という感じで、あまり羨ましそうにもしていない。今は転勤の土地だから、地元に帰れた時に相手は探そうかなと結構気楽に考えている。とてもいいと思った。やはり、日本の「年齢を重ねることは悪」みたいな考え方に縛られている自分が情けない。海外の人みたいに、「年齢を重ねれば重ねるほど人としての魅力が益々高まる」くらいに思えるようになりたい。

ここで、逃げ恥のゆりちゃんの名言をもっかいおさらいしたくなった。

「自分がバカにしてるものに自分がなる、それってつらいんじゃないかな?今あなたが価値がないと切り捨てたものは、この先あなたが向かっていく未来でもあるのよ。自分がバカにしていたものに自分がなる、それって辛いんじゃないかな。私たちの周りにはたくさんの呪いがあるの。あなたが感じているのもそのひとつ。自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまいなさい。」

 

昨日はこんなことを話していた。真剣に語りある友達がいて、私は幸せ者だと思う。